酷いもんである・・・!!!! 武田邦彦著より
環境と市場:ペットボトルリサイクルのウソ
分別収集して、リサイクルして、限られた石油資源を大切に使って、地球の温暖化を防ぐんだ、そう教えられて家庭でも、学校でも、会社でも、そして公共の場でも全国的に進められているペットボトルのリサイクル活動。逆にこの活動が石油資源を余計に浪費しているのだとしたら…。そしてリサイクルにより利益を得ている人がいるとしたら…。
ペットボトルの回収率は順調に向上
「世界をリード!ペットボトルからペットボトルへ」
1997年の「容器包装リサイクル法」が施行されて以降、リサイクルのためペットボトルの分別収集量が急増しています。回収率は2003年に61%に達しています。そしてNEDOのHPのデータ元「PETボトルリサイクル振興協会」の資料では2005年ついに65.6%にまで達しています。
ではペットボトルはペットボトルになっているのか?
ほとんどペットボトルに再生されていない!
最近「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(武田邦彦著)で話題になっている武田さんは、リサイクルされた製品は石油原材料から製造するより歩留まりは悪い。さらに再生品は品質も多少悪くなるので売れにくく、結局有効に利用されないでごみになる。従って実態はもっと小さ値となる、と言う考えのもと研究室の学生と実態調査をして協議会の出しているリサイクル総計26.8%は、多く見積もっても6%程度だろう、と書いている。6%の根拠は武田さんのHP(リンク)参照。
「世界をリード!ペットボトルからペットボトルへ」はウソっぱちのスローガンでした。そしてペットボトルの生産量はどんどんうなぎのぼりに増えています。
ペットボトルはペットボトルに再生できない!これが現実…
NEDOのHPには、ペットボトルのリサイクルの現状が次のように書かれています。原文のまま引用します。
『使用済みペットボトルからペットボトルへのリサイクルは難かしく、再生利用の対象としては繊維やシート、成形品に限られていました(形を変えるだけなので「マテリアルリサイクル」といいます)。
したがって、回収されてもそのすべてがリサイクル処理されず、一部は廃棄されるなどの問題がありました。ペットボトルに再生できなかった理由は、使用済みペットボトルを異物除去、粉砕・洗浄をしてフレーク状の再生樹脂とするのですが、どうしてもごく微小な異物が残ってしまい、安全の面で食品用としてのペットボトルには再生が難しかったからです。』なんと、ペットボトルに再生が難しいって、認めちゃってるんですね。。。
では、回収されたペットボトルはどうなっているのでしょうか?
輸出量が21.1万トンあります。これは生産したペットボトルの内の40%に当ります。そして有効にリサイクルされた分が6%(武田さん調査値)の残り、実に生産量の54%が焼却・廃棄されているのです(’05年度実績)。
ペットボトルとして再生されるのはわずか2%!
武田さんの調査ではリサイクル総計でも僅か6%です。これはあまりにひどい実態です。かえって増えた生産量、リサイクルは免罪符か?
ペットボトルをリサイクルして再生すれば、ペットボトルとして使われる石油材料を減らせるはずでした。ところが2%しか再生されず、逆にペットボトルの生産量は、それこそウナギのぼりに増えています。
なんでこんなことになったのでしょうか?
おそらく、ゴミ箱に捨てる代わりに分別することで、私たちはペットボトルの商品を購入することに罪悪感がなくなったのです。捨てればゴミ、分別すれば資源、とよく言いますよね。
分別すればペットボトルに再生できるのだと思い込み、平気でどんどんペットボトルの商品を利用して、せっせと分別リサイクルしています。
事実は全く違うのです!
ごく一部しかペットボトルに再生されず、せっかく分別してもペットボトルはその大半が燃やされているのです。私たちはゴミを分別し、ゴミ収集車はガソリンを撒き散らして別々に回収し、焼却場で再び一般ゴミと混ぜ合わされて焼却されているのです。焼却してもリサイクル、という欺瞞日本では焼却してもリサイクルなのです。焼却の際に発生するエネルギーを回収・利用することをサーマルリサイクルといい、日本ではリサイクルとして扱っています。
代表的なのは、ごみ発電やエコセメン化(灰からセメントをつくる)温水などの熱源や冷房用のエネルギー源です。欧米ではこのよう な廃棄物が消滅してしまう燃焼をリサイクルの概念には含めません。どうも、法定化までしたペットボトルのリサイクルが、分別したけどうまく機能しないなんて言えないから、机上でごまかしている、という構図が見えてきました。
なんでこんなことになったの?
ペットボルのリサイクルに対して、日本の環境団体は反対だったのだそうです。かえって空き缶感覚でポイ捨てが増える、分別収集が大量消費を招く、自治体の経済的負担が大きいなど、ほぼ現状を的確に予想していたのです。自治体も当然、リサイクルには反対しました。清涼飲料の業界と軋轢(あつれき)もあったようです。ところが、こんな流れを一変させたのが、朝日新聞の1994年10月24日の社説。『ゴミの世界が大きく変わる』のタイトルで、資源ゴミのリサイクルという旧厚生省の方針を強く支持しました。これを期に翌年、『容器包装リサイクル法』は制定され、日本はリサイクル社会へと突入したのでした。
誰がもうけてるの?
ええ、得をしているのは業者(産廃業者)と自治体そして容器リサイクル協会です。損をしているのは消費者、すなわち私たちです。
すべての負担のでどころは結局、国民のふところなのです。リサイクルするということで価格に上乗せされたリサイクル費用を負担させられ、その上、地球環境のためと信じて分別の手間を惜しまず処理したのに、リサイクル業者はその大半を焼却しているのです。
なんたること!そして国はこれがリサイクルだと言い張るのです。う~ん…自治体の負担といいますが、もとは私たちが負担する税金、そしてリサイクル業者がどんな処理をしようがリサイクルするということで渡してしまえば、自治体にもはや責任はないのです。リサイクルビジネスは根が深いようです。
薬害禍や道路行政など見慣れた構図が環境問題にまで!
じゃあ、どうしたらいいのか?行政も経済界もそして学者もマスコミも、環境問題という地球規模の外圧に対して、事実を追求、開示しよう
とはせず、そればかりか都合の良いように利用しています。プロには任せられません、素人の「事実は何で、何が根本問題なのか」という発信が社会を変えていく、第一歩なのです。ビン、缶、ペットボトルの日に、収集車は「ガチャンガチャン」と音を立てながら、全て一緒に車に放り込んでいくそれを見て、誰も不思議に思わないのだろうか