鬼界アカホヤの大噴火(鬼界カルデラ大噴火)今から7300年前、縄文時代に遡ること、九州南方沖(鹿児島市の南約100キロ)の海底火山、鬼界カルデラが起こした巨大カルデラの大噴火「アカホヤ噴火」が発生した。縄文時代早期の日本列島では、南九州で成熟した縄文文化が発達していたという。本州ではまだ先の尖った尖底土器を使っていたのに、南九州では既に平底型の土器が使われていたと言う。尖底土器は、屋外で地面に穴をあけてそこに立てるように置いて使われていたものらしい。一方、平底土器は住居の中での調理や貯蔵にも使うことができた。すなわち、平底土器の出現は、縄文人のライフスタイルが定住型に変化した証拠だと言われていると言う。 Wikipediaより
この鬼界アカホヤの大噴火により九州一帯の縄文人は生活が出来なくなり、ユーラシ大陸に移動したと考えられます。それが九州の臍(へそ)と言われる熊本が北緯33度線上にあり西アジアの端であるコーカサス地方に大移動したと考えられます。この西アジアの一帯も北緯32度から33度線上にあります。
メソポタミア文明で栄えたと考えられる灌漑(かんがい)農業は、それこそ日本の三大神勅(天照大御神から孫のニニギノミコトに高千穂に天孫降臨する際に与えられた使命)の一つである、斎庭稲穂の神勅(お米を育て、お米を祀り、お米を食べ、世界を繁栄させなさいと言う使命)はまさに天照大御神様からの神勅を実行したものと考えられます。
そして長い歳月の中、中東の地で同化混血しながら生活し、最終的に中東の地で定住しますが、白人からの迫害により段階的に里帰りしてきます。これが失われたイスラエルの12部族+レビ族の事だと考えます。
このレビ族が祭事ですので、現在の表の天皇がお勤めになる祭事を担っておられると考えます。鬼界アカホヤの大噴火(7300年前)後、1000年経過し熊本県南小国町の押し戸石の丘、熊本市西区の拝みが石巨石群の巨石がありますが、この話は次回の記事で詳しく述べたいと考えます。